美空 ひばり(みそら ひばり、1937年(昭和12年)5月29日 - 1989年(平成元年)6月24日)は、日本の歌手、女優。横浜市磯子区滝頭出身。横浜市立滝頭小学校、精華学園高等部卒業。 12歳でデビューして「天才少女歌手」と謳われて以後、歌謡曲・映画・舞台などで活躍し自他共に「歌謡界の女王」と認める存在となった[1]。昭和の歌謡界を代表する歌手の1人であり、女性として史上初の国民栄誉賞を受賞した。本名は加藤 和枝(かとう かずえ)。愛称は御嬢(おじょう)。身長147cm。 そして年が明け、1989年1月7日に昭和天皇が崩御。その翌日の同年1月8日、元号が「昭和」から「平成」へ移り変わったその日、ひばりは「平成の我 新海に流れつき 命の歌よ 穏やかに…」という短歌を詠んだ。その3日後の1989年(平成元年)1月11日、『川の流れのように』のシングルレコードが発売される。しかしこの時のひばりの肺は、既に病に侵されていた。
1989年1月15日、テレビ東京「演歌の花道」・フジテレビ「ミュージックフェア」へそれぞれVTRで出演、各番組の最後で『川の流れのように』など数曲を歌ったが、「ミュージックフェア」が放送時間上ひばりにとって、結果的に生前最後のテレビ出演となった。同番組の1989年第1回目の放送は『美空ひばり特集』で、元々は同年1月8日放送予定だったが、昭和天皇の崩御にともない特別編成が組まれ、1週間先送りとなった。この頃のひばりはドーム公演時から見てもさらに痩せ、明らかに体調は悪化していた。なお、1月中のひばりは熱海への家族旅行や両国国技館の大相撲見物の他、自宅での静養が多かったとされる。体調が一時期平行線であっても、好転することはなかった。